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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1450号 判決

控訴人

長島清隆

右訴訟代理人

安藤昇

杉本明訴訟承継人兼被控訴人

梶原武子

右訴訟代理人

下光軍二

外三名

主文

一  原判決を左のとおり変更する。

二  別紙目録(一)及び(二)記載の建物が控訴人の所有であることを確認する。

三  被控訴人は、控訴人から金二三〇万円の支払を受けるのと引換えに、控訴人に対し、

1  別紙目録(一)記載の建物につき、東京法務局武蔵野出張所昭和四七年一一月六日受付第二五五六七号をもつてした同年三月二四日相続を原因とする所有権移転登記(持分杉本明三分の一、梶原武子三分の二)の抹消登記手続をせよ。

2  別紙目録(一)記載の建物につき、東京法務局武蔵野出張所昭和五〇年四月一七日受付第六六一〇号をもつてした昭和四九年八月一四日相続を原因とする杉本明持分全部移転登記の抹消登記手続をせよ。

3  別紙目録(一)記載の建物につき昭和四六年一月五日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

四  控訴人のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主位的請求として、「原判決を取り消す。別紙目録(一)及び(二)記載の建物(以下、右両建物を総称して「本件建物」という。)が控訴人の所有であることを確認する。被控訴人は、控訴人から金一八三万三三三四円の支払を受けるのと引換えに控訴人に対し、本件(一)の建物につき主文第三項の1記載の抹消登記手続、同建物につき主文第三項の2記載の抹消登記手続(右部分は当審における新請求)及び同項の3記載の所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を、予備的請求(当審における新請求)として、「控訴人が本件建物につき持分三分の一の所有権を有することを確認する。被控訴人は、控訴人に対し、本件(一)の建物につき、東京法務局武蔵野出張所昭和五〇年四月一七日受付第六六一〇号杉本明持分全部移転登記の抹消登記手続をしたうえ、昭和四九年八月一四日遺贈を原因とする杉本明持分全部移転登記手続をせよ。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却及び新請求棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係については、左に付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の訂正)〈省略〉

(控訴人の主張)

1  本位的請求につき、原審における主張に加えて、更に次のとおり主張する。

(一)  被控訴人は、本件(一)の建物につき、東京法務局武蔵野出張所昭和五〇年四月一七日受付第六六一〇号をもつて、昭和四九年八月一四日相続を原因とする杉本明の持分(三分の一)全部移転の登記を経由した。

(二)  しかしながら、右建物は昭和四六年一月五日成立の亡杉本清治との売買によつて既に控訴人の所有に帰しているので、右移転登記は実体を伴わない無効のものである。

(三)  よつて、控訴人は、被控訴人に対し、右建物の売買代金の未払分一八三万三三三四円の支払を受けるのと引換えに、前記持分全部移転登記の抹消登記手続の履践を求める。

2  予備的請求(当審における新請求)の請求原因

(一)  本件建物は、もと杉本清治の所有であつたところ、同人は昭和四七年三月二四日死亡した。

(二)  右杉本清治の相続人は、妻杉本明及び養子梶原武子(被控訴人)の両名であつたので、本件建物については、杉本明が三分の一、被控訴人が三分の二の相続分によりこれを相続し、本件(一)の建物につき、東京法務局武蔵野出張所昭和四七年一一月六日受付第二五五六七号をもつてその旨の所有権移転登記を経由した。

(三)  杉本明は、昭和四七年四月一五日東京法務局所属公証人渡辺好人作成昭和四七年第一二〇二号公正証書(以下「本件公正証書」という。)による遺言をもつて、その遺産全部を控訴人に遺贈した。

(四)  杉本明は、昭和四九年八月一四日死亡し、前記遺言の趣旨により、控訴人は、本件建物につき三分の一の持分を取得した。

(五)  しかるに、被控訴人は、本件(一)の建物につき、昭和四九年八月一四日相続を原因として、東京法務局武蔵野出張所昭和五〇年四月一七日受付第六六一〇号をもつて、杉本明の持分(三分の一)全部移転の登記を経由した。

(六)  よつて、控訴人は、被控訴人に対し、控訴人が本件建物につき持分三分の一の所有権を有することの確認並びに本件(一)の建物につき、被控訴人への右持分(三分の一)全部移転登記の抹消登記手続及び前記遺贈を原因とする右持分の全部移転登記手続の履践を求める。

3  予備的請求に関する被控訴人の後記2の(二)の主張に対する答弁

(一)  予備的請求が信義則等に違反し許されないとの主張は、これを争う。

(二)  本件公正証書による遺言(遺贈)が無効であるとの主張は、これを争う。右公正証書は、亡明の意思に基づき、かつ同人の口授によるなどの所定の手続を経て適法に作成されたものである。被控訴人は、本件訴訟において、右遺贈の事実の存在を前提として後記のとおり遺留分減殺の請求をし、かつ自ら本件公正証書を書証として提出しているのであつて、その後に至り、遺贈の事実を否認し、本件公正証書の効力を争うことは、禁反言の原則及び信義則により許されない。

(三)  被控訴人がその主張のとおり遺留分減殺の意思表示をしたことは認めるが、減殺の効果の生じたことは争う。

(被控訴人の主張)

1  本位的請求に関する控訴人の追加主張について

控訴人の主張のうち、前記1の(一)の事実は認める。同(二)は争う。

2  予備的請求について

(一)  予備的請求原因のうち、(一)、(二)項の事実は認める。(三)項の事実は否認する。(四)項のうち杉本明が昭和四九年八月一四日死亡したことは認め、その余の事実は否認する。(五)項の事実は認める。

(二)  控訴人の予備的請求は、信義則又は禁反言、クリーンハンドの原則ないし公序良俗違反の場合などの法理に照らし許されない。すなわち、控訴人は、本件建物を種々の違法手段を用いてでも取得しようと企て、第一の手段として、被控訴人に対し、亡清治の相続についてその放棄を迫り、被控訴人がこれに応じなかつたところ、第二の手段として、清治の死亡当時五〇〇〇万円を下らない本件建物を約一八〇万円の僅少額の対価をもつて取得すべく、偽造にかかる本件建物売買契約書(甲第一号証)を証拠として、被控訴人に対して仮処分申請をし、続いて本件訴訟を提起し、原審において本訴請求が棄却されるや、第三の手段として、控訴審において、本件公正証書による遺言(遺贈)の存在を主張して、予備的請求を追加するに至つたのである。控訴人の前記違法行為は、被控訴人に対し永年にわたり甚大な精神的、身体的、経済的損害を与えたのみならず、控訴人は、死者の名義を冒用した偽造文書が通常真実発見が非常に因難なため適法視されている現実を見通して、前記売買契約書(甲第一号証)を偽造行使したものと解されるから、控訴人の前記行為の違法性は高度であるといわざるを得ない。従つて、かような手段によつて本件建物の所有権を取得しようとする本件予備的請求は、信義則の理念から許さるべきではない。更に、控訴人は、本件公正証書による遺言(遺贈)の存在を熟知しながら、あえて亡清治との間の本件建物の売買契約の存在を主張して本訴請求(主位的請求)に及んだのであり、控訴人の予備的請求における新たな主張内容は、主位的請求における従前の主張内容と矛盾するものである。従つて、控訴人の新たな主張は、禁反言、クリーンハンドの原則ないし公序良俗違反の場合などの法理に照らし許さるべきではない。

(三)  本件公正証書作成時亡明は有効に遺言する意思能力を有しなかつたから、該公正証書は同人の意思に基づいて作成されたものではなく、かつ遺言者による遺言の趣旨の口授、公証人による読み聞かせ、遺言者による捺印をいずれも欠くなど作成上の瑕疵があるから、本件公正証書による遺言(遺贈)は無効である。

なお、右無効の主張が禁反言及び信義則により許されないとの控訴人の主張は、これを争う。

(四)  被控訴人は、控訴人に対し、昭和四九年一〇月二一日到達の書面をもつて、亡明から控訴人に対する本件公正証書による遺贈につき遺留分減殺の請求権を行使した。従つて、仮りに右遺贈が有効であるとしても、控訴人は、本件建物につき六分の一の持分を有するに過ぎない。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一本件建物はもと杉本清治の所有であつたところ、同人が昭和四七年三月二四日死亡したこと、本件(一)の建物につき、亡清治の妻杉本明及び養子梶原武子(被控訴人)を相続人として、昭和四七年一一月六日控訴人主張のとおり相続を原因とする所有権移転登記がなされたこと、杉本明が昭和四九年八月一四日死亡し、その相続人である被控訴人が亡明の訴訟上の地位を承継したこと並びに被控訴人が本件(一)の建物につき昭和五〇年四月一七日控訴人主張のとおり相続を原因とする亡明の持分(三分の一)全部移転の登記を経由したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、果して控訴人主張のとおり、亡清治と控訴人間に本件建物の売買契約が成立したか否かについて検討するに、〈証拠〉を総合すれば、次のような事実を認めることができる。すなわち、

(1)  本件建物の所有者であつた杉本清治(明治二二年生れ)は、妻明(明治二三年生れ)と共に、昭和二〇年五月三一日、明の姪にあたる被控訴人梶原武子と養子縁組をしたものの、右縁組の後同人と同居したことはなく、その後昭和二三年一二月二五日同人は梶原伊太郎と婚姻し、以来清治夫妻と被控訴人との間柄はむしろ疎遠となつていたところ、清治夫妻は、共に老令に達し、かつ実子もなく他に頼るべき身寄りもなかつたため、明の甥(被控訴人の実兄)にあたる控訴人を頼りにし、昭和三〇年頃から控訴人に対して物心両面における援助を期待すると共に、控訴人をいわゆる跡取りと目するようになつた。控訴人は、清治夫妻の前記境遇を熟知しており、自己が同夫妻のいわゆる跡取りと目されていることを自覚したため、同夫妻の求めに応じて、昭和三三年四月頃同夫妻の居住する本件建物に隣接して建物を建築し、以来右建物に居住して、生計は別にしながらも、同夫妻と親子同様の生活を続け、昭和四五年一一月頃明が動脈硬化症で倒れ、療養した際には控訴人においてその療養費を負担するなどして、その面倒をみてきた。

(2)  清治夫妻は、老令に達してからは、清治が本件建物を所有し、明がその敷地の借地権を有するのみで、他にはさしたる資産を有せず、収入も医師である清治が診療所経営によつて僅かのものを得ていたのみであつて、その生活も裕福とはいい難い状態にあつたところ、昭和三〇年頃控訴人に対し、本件建物及びその敷地の借地権の売却方を提案して、控訴人の了承を得、売買代金額その他の契約内容を明確に取決めないまま、控訴人から、昭和三〇年八月から昭和三八年一二月までの間本件建物の売買代金の内金名下に毎月一万円ずつ、昭和三九年一月から昭和四五年一二月までの間土地分割代金(借地権譲渡代金の意と解される。)名下に毎月三万円ずつ支払を受けて、これを生活費等の一部に充ててきた。ところが、前記のとおり、昭和四五年一一月頃明が病に倒れ、控訴人にその療養費を負担して貰うということがあつたのを契機として、清治夫妻は、本件建物及び敷地の借地権の譲渡について代金額等売買条件を明確にしておくべきであると考え、控訴人とその話合いを進めることとした。

(3)  清治夫妻は、控訴人と前記売買条件についての話合いをする一方、売買の履行を円滑ならしめるため、まず清治において、同年一二月七日未登記であつた本件(一)の建物につき同人名義で所有権保存登記を経由し、次いで、清治及び明の両名において、同月一八日東京法務局所属公証人渡辺好人に委嘱して、明が本件建物の敷地につき有する借地権を清治に死因贈与した旨の公正証書(乙第四号証の三はその正本)を作成し、更に翌昭和四六年二月三日再び前記法務局所属公証人板垣市太郎に委嘱して、明が昭和四五年一二月一八日に前記借地権を清治に死因贈与した旨の公正証書(乙第四号証の一はその正本)を作成した。

(4)  他方、清治と控訴人とは、前記売買条件について話合つた結果、控訴人において前記のとおり既に昭和三〇年八月から昭和四五年一二月まで毎月一万円又は三万円を売買代金の内金名下に支払い、その支払の合計額が約三六〇万円に達していることなどを考慮に入れたうえ、売買代金額を前記既払金を除外して、五〇〇万円とし、その支払方法については、それが専ら清治夫妻の生活費ないし療養費に充てられる関係上、昭和四六年一月から昭和四九年一月までの三七か月間に毎月一五万円ずつ分割して支払うこととし、端数は最終支払の時に調整し、その時に本件(一)の建物につき所有権移転登記を経由することとする趣旨の合意がほぼ成立した。

(5)  そこで、清治と控訴人の両名は、昭和四六年一月五日、控訴人及び被控訴人の実妹松本和子と共に、当時国鉄吉祥寺駅南口にあつた不動産仲介業者小林義雄の仮事務所(以下「小林事務所」という。)に赴き、小林に対し、右合意に則つて売買契約書を作成して貰いたい旨申し入れた。小林は、右依頼に応じ、その場に居合せた知人の浜崎粂郎に更に依頼して、同事務所備付の「建物売買契約書」用紙を用いて、売主を清治、買主を控訴人とし、契約内容を前記合意のとおりとする本件建物及び敷地の借地権の売買契約書二通(甲第一号証はそのうちの一通)を作成させた。そして、その際浜崎において、右二通の売買契約書の売主の住所氏名欄に清治の住所氏名のほか借地権の譲渡者を示す趣旨で明の氏名をも記載し、又買主の住所氏名欄には控訴人のそれを記載して、更に小林において、控訴人の名下には控訴人の持参にかかる同人の印鑑を、明の名下には清治の持参にかかる明の印鑑をそれぞれ押捺したが、清治が自己の印鑑は持参しなかつたので後口押捺する旨申し述べたため、その際には清治の名下の印影は押捺されないままに終つた。その後、右二通の売買契約書は、清治と控訴人とが一通ずつ保管していたが、その後一年近くを経た昭和四六年一二月頃に至り、清治において控訴人の保管にかかる売買契約書(甲第一号証)の清治の名下に自ら同人の印鑑を押捺して、契約書の作成を完了させた。

(6)  控訴人は、約旨に従い、前記売買代金の支払として、昭和四六年一月から清治の死亡した昭和四七年三月まで毎月一五万円(合計二二五万円)を清治に支払い、右とは別に、従前の例に倣つて、少くとも昭和四六年一月から昭和四七年三月まで毎月三万円(合計四五万円)を同人に支払い(前記の売買契約成立に至る経緯に照らせば、右金員も売買代金の内金の弁済に充てる趣旨で授受されたものと認められる。)、清治死亡後は明を自宅に引取るなどしてその面倒を見、昭和四九年八月明が死亡するに至るまで同人の生活費ないし療養費として毎月相当額(但しその額を明確にし得る資料はない。)を支出していた。

以上の事実が認められ、〈証拠判断略〉。特に前掲証人浜崎粂郎の証言中には、同人が小林義雄の依頼によつて前記売買契約書(甲第一号証)を作成したのは昭和四七年中であるとの部分があり、前掲甲第三号証(浜崎作成の念書写)、乙第一号証の二(同人作成の念書)中にも同趣旨の記載があり、更に前掲乙第九号証(同人作成の「証」と題する書面)中には前記売買契約書を作成した時期は昭和四八年四月頃である旨の記載がある。しかし、同人が前記証言及び書面において述べるところによつても、その作成時期については、或いは昭和四七年中といい、或いは昭和四八年四月頃であるといつて、一貫性を欠くのみならず(控訴人が甲第一号証を最も重要な手持ち証拠として本件訴訟を提起したのが昭和四八年三月三〇日であることは記録上明らかであるから、甲第一号証の作成時期がその後である同年四月頃であるとする前記の記載は到底措信できず、このこと自体同人の供述等の信用性を著しく低下させるものといわざるを得ない。)、右は、いずれも〈証拠〉に徴しても採用することができない。

以上認定の事実に徴すれば、控訴人と清治夫妻とが前認定のような間柄にあつたことから、昭和四五年一二月頃から控訴人と清治との間で本件建物及び敷地の借地権の売買の話合いがなされ、その結果、遅くとも昭和四六年一月五日前記売買契約書作成の時点で、その代金額を五〇〇万円とし、これを以後毎月一五万円宛分割して支払い、支払完了時に本件(一)の建物につき所有権移転登記を経由すること等を骨子とする売買契約が確定的に成立し、その後控訴人において約旨に従つて少なくとも合計二七〇万円を売買代金の内金として支払つたものということができる。従つて、特段の事情の認められない本件にあつては、控訴人は、売買契約の成立と同時に本件建物の所有権を取得したものというべく、又売買代金のうち少なくとも二七〇万円を既に支払つていること前記のとおりであるから、残代金二三〇万円を支払うのと引換えに本件(一)の建物につき売買を原因とする所有権移転登記手続の履践を求め得るものといわなければならない。

三原判決は、本件にあらわれた全証拠をもつてしても、本件売買契約の成立を肯認するに足りないとして、特に次のような疑念の存在すること、すなわち、(1)本件売買契約書は予め作成が準備され、しかも不動産仲介業者の立会のもとに作成されたというのに、契約当事者の署名は自署によるものでないうえ、売主清治は首肯すべき理由もないのに自己の印鑑すら持参していなかつたこと、(2)前記契約書は、小林事務所が吉祥寺駅北口に移転した昭和四七年以降に作成された疑いが濃いこと、(3)控訴人が売買代金の領収の証拠として提出した甲第二号証の一ないし四は金額の記載を欠き、又甲第五号証記載の金額は本件売買代金の割賦金額と合致しないから、これらが右売買代金の領収書といえるか疑わしいこと、(4)本件建物の売買について清治も控訴人も被控訴人に一言も相談していないのは不可解であることなどを挙げている。よつて、以下に右の諸点に関する当裁判所の見解を示すこととする。

まず前記売買契約書における契約当事者の署名が自署によるものでないことは前認定のとおりであるが、たとえ不動産仲介業者の立会のもとに作成された売買契約書であつても、契約当事者の署名が自署によらない事例も稀有ではないし、殊に本件の場合は、不動産仲介業者たる小林が相当額の報酬を得て売買を成立させたというのではなく、清治及び控訴人の両名が既にほぼ合意に達していたところに則つてこれを文章化した契約書類の作成方のみを小林に依頼したに過ぎない事例である(証人松本和子の証言(当審)によれば、控訴人らは、小林に右書類の作成を依頼するに際し、謝礼として菓子折一箱を差し出したに過ぎないことが認められる。)から、前記売買契約書に契約当事者の自署がなかつたからといつて格別不自然であるとはいい難い。又清治がその場では自己の名下に捺印しなかつたことも前認定のとおりである。〈証拠〉によれば、清治は、昭和四五年一二月一六日自己の印鑑登録の変更手続をすませていたことが認められ、清治が、持参していないと述べた印鑑は、右登録を変更した新しい印鑑を意味するというべきところ、清治が、右印鑑を持参しなかつた理由がどこにあり、同人が右理由をどう述べたかは、本件に表われた証拠上、必ずしも明らかでない。しかし、前認定のとおり、清治は、前記売買契約書作成前に控訴人と前記売買の条件について話合いを進め、かつ売買の履行を円滑ならしめるため、本件(一)の建物につき所有権保存登記を経由し、妻明と敷地の借地権につき死因贈与契約を締結してその旨の公正証書を作成するなどし、売買の条件についても控訴人との間でほぼ合意に達した後に、控訴人と共に自ら小林事務所に赴いて、同人に売買契約書の作成方を依頼し、しかも右契約書の明の下には自ら持参にかかる明の印鑑を押捺しているのであるから、小林事務所における契約書作成の時点で清治の捺印がなされなかつた一事をもつて前記売買契約の成立を否定することはできない。

次に、原判決は、前記売買契約書は小林事務所が吉祥寺駅北口に移転した昭和四七年以降に作成された疑いが濃いとする。しかしながら、右契約書が昭和四七年以降に作成されたとする証人浜崎粂郎の証言及び同人作成の念書の措信し難いこと、前記説示のとおりである。又証人小林義雄の証言(第二回)によれば、小林事務所はもともと吉祥寺駅北口にあつたもので、昭和四五年夏頃から昭和四六年末頃までの間一時同駅南口に仮事務所を設け、同所に移つていたが、昭和四七年初頃から再び同駅北口に戻つて現在に至つていることが認められるところ、前掲乙第一二号証(松本和子作成の昭和四八年三月二八日付陳述書)中には、売買契約書は名前は忘れたが吉祥寺駅北口の不動産屋に立ち会つて書いて貰つた旨の記載があり、右記載からすれば、前記売買契約書作成の時期は小林事務所が同駅北口に戻つた後である昭和四七年以降であると解する余地がないでもないが、証人松本和子の証言(当審)によれば、右契約書は同駅南口にあつた小林の仮事務所で作成されたものであつて、松本は、小林事務所がもともと同駅北口にあつたところから、前記陳述書に同駅北口の不動産屋と記載したものであることが認められるから、右陳述書の記載を根拠に前記売買契約書が昭和四六年以降に作成されたとすることはできない。

〈証拠〉によれば、昭和四六年一月五日朝東京地方には三日続きの積雪があつたことが認められる。しかし、証人松本和子の証言及び控訴人尋問の結果(各当審)によれば、清治は、当時高令ではあつたが、普通の健康体であり、清治方から小林事務所までは徒歩で五分位の距離であることが認められるから、初出勤の振袖姿がみられた(右乙第一五号証)という同日、清治が小林事務所に赴いたとしても、何ら疑問は生じない。

仮りに、甲第一号証の清治名下の印影が、清治の不知の間に押捺されたとするならば、それは文書偽造に当るわけであるが、かかる文書偽造を行う場合に、わざわざ他人の第三者を関与させるであろうか。その第三者が事実を述べれば、簡単に露見するという危険を犯すことになるのである。

更に、控訴人の提出にかかる甲第二号証の一ないし四には領収金額の記載がなく、又甲第五号証に記載されている三万円という金額が本件売買代金の割賦金額と合致しないことは、原判決の指摘するとおりであるが、控訴人において本件売買代金の支払として、清治に対して、甲第二号証の一ないし四に記載された期間である昭和四六年一月から昭和四七年三月までの間、毎月一五万円ずつを支払い、又これとは別に従前の例に倣つて、少なくとも右の期間中毎月三万円ずつ支払い(その領収の証拠が甲第五号証及び前記甲第二号証の四である。)、後者の支払も前記の売買契約成立に至る経緯に照らせば、売買代金の内金の弁済の趣旨で授受されたものと認められること前認定のとおりであるから、右各書証は本件売買代金の領収関係書類であるということができるし、又本件建物の売買について清治や控訴人から被控訴人に対し一言も相談がなかつたとしても、前認定の、当時清治夫妻と控訴人とは親子同様の親密な間柄にあつたのに対し、被控訴人は清治夫妻の養子であつたとはいえ同夫妻とはむしろ疎遠の間柄であつた事実に徴すれば、格別異とするに足りないといわなければならない。右のように、高令者が、自己の財産を理由があつて相続人以外の者に譲渡しようとする場合、相続人が異を唱えて紛糾することを恐れる老人心理が働いて、相続人側に知らせることなく事が運ばれることは、世上しばしば見受けられるところであり、本件においても、〈証拠〉によれば、清治が、昭和四六年控訴人らの母である訴外長島朝らに対し、「杉本の家を控訴人のものにするよう売買契約をしたから、被控訴人との間にごたごたがおきないよう、よろしく頼む」と念を押したことが認められるのである。

四以上の次第で、控訴人主張のとおり昭和四六年一月五日本件建物の売買契約が成立し、控訴人はこれにより本件建物の所有権を取得したものというべく、従つて、控訴人の主位的請求のうち本件建物の所有権の確認を求める部分はその理由がある。

杉本清治の死亡に伴ない本件(一)の建物につき杉本明及び被控訴人のため控訴人主張のとおり相続を原因とする所有権移転登記がなされ、又明の死亡に伴ない被控訴人が亡明の訴訟上の地位を承継し、かつ同建物につき被控訴人のため控訴人主張のとおり相続を原因とする明の持分全部移転の登記がなされたこと、並びに本件売買代金五〇〇万円のうち二七〇万円が支払済みであることは、前叙のとおりであるから、控訴人は、被控訴人に売買代金の残額二三〇万円を支払うのと引換に、被控訴人に対し、右各登記の抹消登記手続と前記売買を原因とする所有権移転登記手続の履践を求め得る筋合である。従つて、控訴人の主位的請求のうち、本件(一)の建物につき登記手続を求める部分は、引換給付金の額につき控訴人の請求を上回つて二三〇万円の支払をする限りその理由があるが、その余は失当といわなければならない。

五よつて、控訴人の請求を全部棄却した原判決は不当であるから、これを変更して、控訴人の主位的請求を前記理由のある限度で認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、九二条但書、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 中村修三 松岡登)

目録〈省略〉

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